(外伝3) 終わりから始まりへ
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今望むセカイと今見えるセカイ
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「違う、これも違う…俺が求めてる事じゃない……いや、これか」
チームの一員になり半年が過ぎた頃…俺は、市街地の一等地にあるプリマヴェーラ家とハイドランジア家が共同運営している私設図書館…「アンリミテッド・ブックコレクト」、その地下に保管されている蔵書を目当てにやって来た。
資料保管室…中は照明が少なく薄暗い。普段から人の出入りが少ないのか、少しカビ臭い。
そう感じたのも初めの数時間…3日も過ごせば別段、気にする事もなくなった。アークスとしての活動も投げ出し、一日のほぼ全てをこれに費やしてる。
唐突に訪れた『この世界』の真実…
本来歩むはずだった未来を変えるため、過去に遡って起点となった事実を改変する。
この世界はそれによって、改変された世界なのだと…シオンが作り出した『マターボード』と彼女に選ばれた者の手によって。
オーダー完了の報告の為に立ち寄った艦橋の入り口で、シャオと彼が『シウ』と呼ぶ…顔にタトゥーを入れた麗人、その会話を聞いてしまったから。
より最善の結果の為に。
しかし、世界は演算した事象とは歪に姿を変えた。
シオンでさえ認識されなかった"異物"によって…
彼等は俺をそう呼んでいた。
『マターボード』
それさえあれば…もう一度。
彼等の話を最後まで聞いておけば、また未来は違ったかもしれないのに…。自分を"仲間"と呼ぶ人達をすぐに頼れば、また世界は変わったかもしれない。
そんな簡単な事さえ、気付けないほど、俺はまた一人で抱えていた。そうしなければならないのだと、まるで誰かに導かれるように。
目の前に広がる膨大な記録の海を無我夢中に泳いでいた。
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"量子もつれ”の状態にある2つの量子は、たとえ物理的に引き離したとしてもいわば運命共同体のように分かちがたく結びついた存在であることが、実験からも証明されている。
また引き離された距離がたとえ北極と南極ほど離れていても、あるいは宇宙の端から端までであったにせよ量子論的には2つの量子は一心同体の振る舞いを見せるはずなのだ。
例えばもし宇宙の端から端まで離れていたとした場合、一心同体の振る舞いを見せるためには2つの量子の間のコミュニケーションは光の速さを優に越えていることになる。
したがって量子論はまさに時空をも超えた理論ということになるのである。
そして単に時空を超えているだけでは済まされなくなっているようだ。
なんと時間が過去へ向かって流れているケースも考えられるというから驚きだ。
時間は前に進むだけでなく“巻き戻って”いる場合もあるということになる。
この驚くべき理論は
逆因果(retrocausiality)
と呼ばれており、その名の通り時間を逆回しにした因果関係のことである。
通常、発生したある現象は因果関係のある過去の何らかの出来事が原因になっていると考えるが、逆因果とはこの逆で、今起こっている出来事は未来の現象の影響を受けているとする考え方である。
つまり原因は過去にあるのではなく未来にあるというわけである。
アメリア・チップマン大学のラシュー・マイファー氏と、ラナダ・理論物理学ピリメーター研究所のマシューマ・ミュージー氏の2人の研究者が現在、この逆因果についての研究に本腰を入れて取り組み始めている。
「現在、物理学者と哲学者の少数のグループがこの逆因果について、研究すべき価値があると考えています」とラシュー・マイファー氏は科学系ジャーナル紙「サイエンサーズ」に話している。
逆因果はあくまでも思考実験の上で登場した仮説理論なのだが、今やアカデミズムに属するサイエンティストが本気で研究対象に選んでいるのである。
はたして本当に未来が過去に影響を及ぼしているケースがあるのだろうか?
逆因果を研究するにあたってマイファー氏とミュージー氏がそのよりどころとしているのが、
ベルの不等式(Bell's Theorem)
である。
べルの不等式は、旧歴時代の物理学者、ビン・べル博士が提唱した数式で、ざっくりと言ってしまえば何か不可解な現象について、それが一般的な物理法則の中での例外的な出来事なのか、それとも量子論を持ち出さないと説明できない現象なのかを見分けるための数式である。
つまりこの数式に収まる範囲内であれば一般的な物理学で説明できる現象であり、この数式を超える結果になってしまう現象は量子論に属するものになるというわけだ。
具体的にはその現象が
“量子的重ね合わせ” の状態であったのかどうか、
“光速を超える速度” を伴っているのかどうか
などを見極めることである。
そして、マイファー氏とミュージー氏はこう結論づけた。
このべルの不等式を空間から時間に置き換えて適用させた結果、
時間が未来だけに向かって流れているという証明はできない
つまり、
逆因果の現象が存在する可能性があるということと、
量子もつれの状態にある2つの量子は時間を遡るかたちでも影響を及ぼしあっている
ということである。
それはまさに、一心同体の2つの量子は未来であれ過去であれ時空を超えて結びついていることになる。
「逆因果の研究が価値のあるものだと考えている理由は、一般的な物理学で量子論の解釈を試みるという、ベルの不等式を含む多くの
ノーゴー定理(no-go theorem)
にある。
これらはつまり標準理論的な解釈ではつじつまが合わないという特徴を持っている。
したがって、唯一の選択肢は一般的な物理学を放棄するか、標準理論のフレームワークから脱却することだと思われる」(ラシュー・マイファー氏)
しかしながら逆因果はまだ多くの科学者が完全には受け入れてはおらず、この2人にしたところで逆因果が正しいのかどうかは今後の自分たち次第であることを認めている。
「私の知る限り、物理原則全体をカバーし、なおかつこの逆因果を取り入れた量子論的解釈はではない。
逆因果は現時点では説明のためのアイディアなので、他の物理学者が懐疑的であるのは当然であり、ゆえに我々には逆因果を具体的な理論にする責任がある」(ラシュー・マイファー氏)
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今起きている現象の原因が過去にあるのではなく未来に導かれたものである…だって?
まさか、じゃあディールやヒルダ…フィリアちゃん、それだけじゃない。チームやカジノの皆だって…こうなる未来に導かれた結果、だっていうのかい?
誰が望むんだ…誰が導いた、こんな未来!
あぁ…あぁ!そうか、そいうことか…クフフフ、あははは!
そうか君か、君が導いたのか……なら、さぞかし満足だろうよ、クソ食らえさ。
冗談じゃないね…認めない、絶対に!
手に持っていた資料を投げ出し、更に他の資料を読み漁っていく、紙媒体記録やライブラリにある電子記録…読めるものは全て…手当たり次第に。
認めない……最期まで足掻いてみせる、そう決めたんだから。
資料に目をやりながら視界に入るハーブシガレットを取ろうとしたとき、積み上げられた資料に手が当たって崩れて散らばる。
床にばら蒔かれた資料、灰皿に吸殻が山積みになって零れた灰…それらはまるで、自分の心を表すように乱れていた。
何気なく拾い上げた資料の一枚に記された一文に目が止まった。
どうやら、当時のサイエンス記事のようだ。
「ただのコラムか。……これって!?……そうか、これも君の導きってやつかい?
いいさ……精々、無様に羽ばたいてあげるよ、嵐を引き起こせるくらいね」
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常識を超えた驚くべき知見をもたらしてくれる“量子論”の世界だが、そのメカニズムは難解を極める。
しかしあまり難しく考えずに、前提をもっとシンプルにしてみれば、案外あっさりと森羅万象を解明できるのかもしれない。
その前提とは
“パラレルワールド”
が無数に存在していると認めることだ。
■並び行く世界が相互に干渉している
今いる現実と並行して存在している微妙に違った世界が“パラレルワールド”だが、その概念そのものは古く旧暦時代にさかのぼる。
アメリア・ぺリンストン大学の大学院生であったシュー・エヴェレットが提唱した
多世界解釈(Many Worlds Interpretation : MWI)
が起源だといわれているが、あくまでも“解釈”であり思考実験であった。
パラレルワールドが本当にあるにしてもこの現実とは完全に分離された世界であり、その意味では存在しないことと同じであると考えられてきた経緯もある。
あの時に別の選択をした自分や過去に起こり得た出来事に巻き込まれた自分の“今”を想像してみるのも一興かもしれないが、それはエンタテインメントの域を出ない空想の産物と見なされてきた。
しかし近年…登場した理論では、なんとこの現実とパラレルワールドがわずかながらも影響を及ぼし合っている可能性が指摘されている。
オーガードストラリア・グリフィア大学のマイケル・ポールスター博士らの研究では、新たなコンセプトである
MIW(Many Interacting Worlds、相互干渉多世界)
が登場している。
このMIW理論こそが“パラレルワールド”であり、しかも個々のパラレルワールドは完全に分離されてはおらず、すぐ隣にあって相互に干渉しあっているというのである。
MIW理論によれば、この世に無数のパラレルワールドが存在し、隣り合う世界が相互に干渉していると考えることで、この世界の理解がもっとシンプルになると指摘されている。
いったいこの世界がどのようにしてシンプルになるのだろうか。
その鍵を握るのが量子論の世界である。
■不可解な量子論的現象はパラレルワールドとの相互干渉に起因
旧暦965年にモーベル物理学賞を受賞したリチャード・シャインマンは
「量子力学を理解している者は誰もいないといっても過言ではないと思う」
という発言を残している。
天才物理学者をもってしても、量子論の理解が困難を極めるものであることが嘆かれた言葉とも受け止められるだろう。
量子論の不可解さを代表するものに
「シュレーディンガーの猫」や「二重スリット実験」
などがよく取り上げられ、
その難解さを示すものとして複雑極まる
「シュレーディンガー方程式」や「波動関数」
がよく引き合いに出される。
かくも難解なこの量子論の世界をどう理解し、扱えばよいものなのだろうか。
この質問に1つの答えをもたらしてくれるのが、ポールスター博士らが提唱したMIWの概念である。
MIW理論が主張するのは、
この世にパラレルワールドが無数にありある程度干渉し合っているという前提を認めることで、
量子論と標準的物理学の両立・融合が可能になるということだ。
しかも難解な「シュレーディンガー方程式」や「波動関数」などをわざわざ持ち出さなくてもよくなるという。
つまりパラレルワールドの存在と干渉を認めることで、世界はもっとシンプルになるのだ。
ポールスター博士によれば、
量子論が我々にとって手に負えない不確実性に満ちたものに思えるのは、
今のこの世界がどのパラレルワールドであるのかを我々が知らないことに起因しているという。
確かに我々の標準的な物理学は、この現実世界が完全に独立した1つの世界であることを前提としている。
したがって量子論的現象は不可解この上ないものに感じられるのだ。
しかしこの世界が隣り合うパラレルワールドの影響を受けているものであるという前提に立てば、量子論のメカニズムは着実に解明へと近づくとポールスター博士らは主張している。
つまり不確実性に満ちた量子論的現象はパラレルワールドとの相互干渉によるものであるということになる。
そしてこのMIW理論は将来的に実験やシミュレーションで実証することが可能であるということだ。
MIW理論によって量子論的現象のメカニズムが解明された暁には我々の文明全体が大きく前進することになるといっても過言ではないだろう。
研究の進展に期待したい。
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「…泡の様な世界」
世界は無数に、そして同時に存在してお互い干渉し合っている。
一つの道筋が消えればまた一つ現れる新たな道筋…この先に射すのは光か闇か。
照明の周りには『蝶』ではなく、蛾が忙しなく飛んでいた。
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想い出を抱いて
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「それでは、私はあと一枚引きます……ではオープン。
お客様は24、バースト…私は21のファイブカード。
残念です、ダブルダウンのため倍額の掛け金は没収致します……ゲームを続けますか?」
高揚感を演出する、きらびやかな照明やテンポの良いBGM…それに
『レディースアンドジェントルメーン!時間が許す限り~…いやいや、時間を忘れるくらいめいっぱい楽しんでいってねー!
誰もが喜ぶ超々豪華な景品も揃っているよー!選り取り見取り、もってけもってけー!』
彼女のマイクパフォーマンス。
「…よそ見をするな、全く。まだまだ続けるぞ、コインならある。今夜はお前を独占するんだからな…今は私だけを見ていろ」
俺のネクタイを引っ張って強引に顔を向けさせる女性客、傲慢な口調とは裏腹に顔は赤い。
懐かしい光景……でも、何かが違う。どうして、二人がここに?
急に遠ざかっていく視界、白くぼやけていく…待ってくれ、もう少しだけ!
「待ってくれ、もう少しだけ……ぁ」
視界がクリアになる、目の前には読み散らかした資料の山、溢れかえった灰皿に…飲みかけのハーブティー。
胸元に抱いて寝てしまった論文の一部がしわくちゃになっている。
この資料室にこもって分かった事、マターボードはシオン…因果演算のコアユニット無しには機能しない、そもそも生み出すことすら出来ない事、すなわちシオン亡き今、過去に遡って歴史を改変すること不可能。
過去は変えられない。
亡くした人は帰ってこない。
さっき見た光景は夢?
本当に?
ただ、自分の都合の良いように思い描いただけの絵?
もし、あれが何処か別の世界の光景だとしたら…そんな世界があるなら。
「4日もサボってなぁにしてるかと思ったら、こ~んな所で引きこもっちゃってさ~、うわっ!臭いっ!レモンくさ!?
なにこの臭い、ちょっとちょっと…いくら使われてない喫煙所だからってね、ココは君の部屋じゃないんだよ!」
銀色の髪を結んだ眼鏡の女性、マキナが腰に手を当てて立っていた。
「ったく、貴重な資料をレモン臭くしちゃってぇ…ん~?なになに…"因果率"に"量子論"ねぇ……へぇ、"惑星シオンとマターコンピューティングによる事象改変の考察"…そんなモノまでココにあったんだね、よく見つけたねぇ。
それで君はアレかい、"科学者"か"哲学者"にでもなるつもりかな?
それとも…」
資料に落としていた視線を上げ、俺の目を見据えて言葉を切った。
しばらくの沈黙。
「それとも…過去を変えるため…もっと言うと、"別の世界の"過去を変えるため、かな」
「……!?」
「私を誰だと思ってるのかな…希代の大天才マキナ・ディ・スプレンドーレさんだよ!それ、その大事そうに抱えてる論文…貸して?よっと、ちょっくら座るよー」
答える間もなく引ったくり俺の横にドッカリと座る。すぐさま物凄い速さで両目を左右に動かし読んでいく。
「…ふんふん、へぇ……相互干渉多世界ねぇ…それで、"因果率量子論"か……ふぅむ、だったら…演算器は…あー、なるほどね。だったらこれは……そっかそっかぁ……ねぇ、コレさぁ…本当に実現できると思う?」
論文を読み切り目を閉じたまま俺に問いかける。
「…あぁ、君ならできると確信が持てるよ。…希代の大天才、だろう?」
「できるか、できないか…それで言えば答えは簡単、『できる』よ。ただし…本当に君はやるのかい、一度実行されれば…もう後には引けないよ?
それでも君は…砂漠の中から一粒の砂金を探すような途方もない事を、永遠と繰り返せるのかな?
これは言わば"願望器"さ…使用者が望んだ事象になるまで、繰り返し演算し続けるよ。そして君はこの願望器に導かれるまま、無限に存在し続ける世界を旅して事象を改変しては見届ける事になる。
それでも……やる?」
「…やってやる。俺の存在が"世界"にとって"異物"と認識しなくなるまでな。そうしなければ、"どの世界も"ねじ曲がって未来へ進む、そんな世界…ココだけで沢山なんだ。
例え、"この世界"から俺の存在消え…皆の記憶から俺がいなくなっても…それでも、ディールやヒルダが死ぬ世界なんて…俺には堪えられない」
「…君がもう"麗舞"として存在できなくなってもかい?」
「…一つの世界に全く同じモノは存在しえない、"麗舞"は二人も要らない…ぅわ!?」
染みだらけの天井を見つめながら答えた。刹那、視界がブレた…肩を捕まれて無理やり彼女の方に向きを変えられた。
目の前には口を噛みしめている、彼女…目には涙が浮かんでいる。
「…なんで、なんでさ!普段、ぐうたらなクセして…なんでこんな時だけ頭が回るのさ。
もう良いじゃない、君だって沢山辛かったじゃないか!やっと、この世界は"麗舞"って存在を認めてくれたじゃない…シャオ達からすれば望んだ未来じゃない、かもしれないよ!
それでも!私は…私達は認めた、君を!"麗舞"っていう存在を望んだんだ!「だから、だよ…」…え」
震える彼女の手に、手を重ねて…ゆっくりと穏やかに思いを告げる。
「…君達に"仲間"だって認めてもらえた、"麗舞"として……必用な存在だって望んでもらえた。それがどれだけ嬉しかったか。
だけど、『 "ボク"が"俺"として存在する未来 』の因果に引かれて二人は死んだ。もしかしたら、死ぬのはあの二人じゃなくてマキナちゃんか、マキナちゃんの大切な人だったかもしれないんだよ?
みんなの大切な誰かを犠牲にしてまで、みんなの大切な誰かを傷付けてまで…その場所に俺が居座るなんて。
だったら、最初から存在しない方がいい、"麗プロジェクト"ごと消してしまえば良いって思った。
ヒルダが死ぬ前にフィリアちゃんと3人で培養プラントを停止させた……これで良いんだ、あとは残った時間を静かに過ごせばそれで良いって。
でも出来なかった…俺は臆病で、ズルくて…欲張りだから。
この半年間、本当に充実した毎日だったよ…あちこち皆でクエストに行った、エネミーに追っかけ回されたり、辺境の惑星でサバイバルキャンプ…市街地で遊んだり。
君と悪ノリしてヴェルの家の地下を"秘密基地"にしたり"ロボに変形する要塞戦艦"なんか作ってさ、あの時のヴェルの顔ったらなかったな…。本当に楽しかったよ。
たがら、余計に思ってしまうんだ、あの二人がいてくれたらって…たとえ想い合えなくても、他人だとしても。生きていて、欲しいって。
せめて、別の世界では誰も亡くさない世界、笑い話みたいな騒がしくて楽しい世界…そうでありたいって望んでしまうんだ。
君達と出会って過ごせた想い出を胸に…俺はいける、いきたいんだよ」
彼女は俯いたまま、黙ってる…不規則に落ちる雫がトレードマークのエプロンに染みを作っていく。俺はその涙を拭う事が出来ずにいた。しばらくして何かをブツブツと喋りだした…その声は徐々に大きくなっていく。
「…ない……めない、絶対……ない、そんなの……さない。だったら、私は…………よぉぉし、わかった!!」
一際、大きな声でそう言うと乱暴に涙を拭い、キッと俺を見据えた。
「…君がそこまで言うなら、もう止めない!その願い…叶えてあげるよ、もう後には引けないから。やっぱり無理…なんてのは無いよ、泣こうが喚こうが君をこの世界から消してあげる…この私がさ。
私達の想いさえ振り切っていくんだ…望み通り、どこの世界なりと行っちゃいなよ…欲張り!バカ!スケベ!サボり魔!ヘタ麗!」
いつも見る人懐っこい笑顔は涙で歪んでいた、それでも綺麗だと思った。
「あはは、ありがとう…マキナ」
「あぁあ…これで私"達"も共犯かぁ。ほぉんと、君もつぅぅっくづく…誰か泣かせてるよね!
…最低だよ、自覚あるだけに余計タチ悪いよ。それでも、嫌いになれないんだから…ズルいよね?
ずっと言ってやるんだからね、君はこういう奴だってさ!
覚えといて、これからも私達は君が"こんな奴だ"って言い続けてやるんだから♪
さぁ、やることは山積みだよ、帰って準備しなきゃ!」
そう言って椅子から飛び上がって資料室のドアノブに手をかけたまま立ち止まる。
「…一ヶ月だよ」
「え?」
彼女は背を向けたまま続ける。
「論文にあった、半導体150億個分の並列処理コンピューターと同等の処理能力を持つ演算装置を手のひらサイズで作ることだよ。量子コンピュータの基礎理論は光歴紀元前より存在しているから、あとはなんとかできる…それができるまでに一ヶ月。
君がこの世界に存在できる期間だよ」
「残り…一ヶ月」
「この一ヶ月感、君にはやってもらうことがあるんだよ…私のお願い、聞いてくれる?」
「…なんだい」
「みんなと一緒にいて?何をしてても良いよ、とにかく一緒にいて…たぁくさん想い出を作って。最後までずっと…」
「…わかった、言う通りにするよ」
「取り敢えず、山積みの資料とか…その辺のもの、ちゃんと片付けてから皆の所に行ってね?今日は午後から皆、非番だからチームルームに集まってるだろうから!……絶対、忘れないんだから」
こちらを振り返りもせず、彼女はそう告げて喫煙所から出ていった。
賽は投げられた…あとは自分次第だ。
思い描く先へ。
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喫煙所の扉を閉めて、通路の角を出口に向かって曲がり…壁際に寄りかかる人達に声を掛ける。
「そう言うわけだからさ…みんなも共犯だからね?因みに拒否なんてさせないよ、やっと引き出した彼の願い…叶えてあげよ?
ただし…全部、彼の願い通りにはさせない」
困惑した表情で私を見る彼女等に向かって私は笑って言った。
「なぁに…私達の想いを振り切っていく彼に、ちょっとした意趣返しさ♪ふふふ…悪いようにはしない、最後はみんなでハッピッピー♪だよ!…任せて、"私に良い考えがある"ってね!」
後々、この時の私は…それはそれはワルい顔をしていたそうだ、失礼しちゃうよ!
覚悟しておいて…お兄さん。
君がどこかへ行っちゃうなら、私達は…
【続】
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